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建御雷神-タケミカヅチ-というフィギュア制作連動企画を立ち上げました。

その記録をこのブログに綴っていこうと思いますのでよろしくおねがいします。



ストーリー、原型担当の藤瀬でした。


チラシのコピー3[1][1]


神話の時代、地上は葦原中国(あしはらのなかつくに)と呼ばれ、荒ぶる神々の地であった。
高天原(たかまがはら)から派遣された建御雷神(たけみかづち)は地上の神々に国譲りを迫ると、建御名方神(たけみなかた)という神が力比べをしようともちかけた。
建御雷神は建御名方神に勝利し、葦原中国を平定した。

そして二人の神の戦いを起源とし、相撲が生まれた。


23世紀、相撲は日本の大相撲の枠を超え、世界各国に伝播し「スモウ」として親しまれていた。
世界に普及してゆく過程を経て、あらゆるスポーツ、格闘技、戦闘術の技術を吸収し、世界相撲協会が国際ルールに統合させる頃には、突く殴る蹴るの「三手の禁じ手」も消滅していた。
あまりにも日本の大相撲から独自進化し乖離してしまった「スモウ」を日本相撲協会は相撲と同じ競技だと認めることは出来ず、まったく違う別の競技として扱うことにした。それにより大相撲は鎖国状態でありつつも象徴的な存在になっていった。
時は相撲の時代。相撲とスモウは全世界を巻き込んだ一大ムーブメントを巻き起こし、誰もが熱狂する競技になっていた。
男の価値は相撲で決まり、男の理想像は力士。子供のヒーローはお相撲さんだった。

西暦2214年、事件が起きた。
歴史上最強最高の横綱と誰もが認める、生きる伝説である大横綱、奔王悟理(ほんおうさとり)は、世界中の力士が世界一を決める「スモウワールドカップ」に大相撲が参加を拒否し続けることに業を煮やし、世界相撲サミットの場で、参加は求道精神として必要であると発言。
「誰であろうと、何者であろうと、相撲がとれる者、相撲を愛する者であれば戦いましょう」 と宣言した。
これにより相撲とスモウが交錯し、真の世界最強、200億分の1を決める戦いが幕を開ける。


「なぜ500年に99人しか横綱がいないのか、教えてあげますよ」
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